ムガンガであるムゼー、生きていれば70代か80代か、家族だけにでも挨拶したくて近所らしきところを歩き回っているうちに、ミシンを踏むおじいさんを見つける。おじいさんならば14年前のことを知っているだろう。「知らないなー。知っていそうなムガンガのところへ連れてってあげる。」以前の面影を残す草っぱらや、がたがた道を歩いて、1軒の大きな家へ入る。わさわさと人が出入りしている。しばらく待つと、年配の奥さんらしき人がやってきて大きなダブルベッドで部屋がいっぱいになっている個室へ招かれる。「おとつい目の手術を下ばかりであなたを見ることはできないけれど、ここへは中国人も外人もたくさんやってくる。」「でもあなたは私のおじいさんじゃありません。声も顔も覚えているし、あなたはお若い。」結局そのムガンガからも私のムゼーについての情報はまったく聞き出せなかった。「あのムガンガは有名で、あの家に居た人たちはあそこに泊まって治療を受けているんだよ。気がふれた人が縄で両手首をこんな風に縛られて連れてこられても、正気を取り戻すんだ。外に居た2人はマサイだよ。普通の格好をしているけれど、わしには解る。マサイの病気も治すムガンガなんだよ。」とミシンのおじいさんは自慢げに言う。「シェタンを持っている男も居るけれど、若いよ。」「私の探してるのはムゼー、おじいさんなんです。」本当に死んだ人のことは皆簡単に忘れるのだろうか?それとも私のようなよそ者には知られたくないことなのだろうか?なんだか狐に包まれたような感じ。もっと時間があればもう少し歩けたのだけれど、私は夢から現実のザンジバルへ帰っていかなければならない。ムゼーマンボは死んだ。ムゼームガンガの消息も知れない。彼らをこっそりと紹介してくれたスイス人の友人についても先日訃報ガ届いた。私は今、いろいろあってもとても幸せで楽しく暮らしている。これはみんなのおかげなのに、一言お礼が言いたかっただけなのに。