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こんなに日がたってしまいました。
忙しくしていました。こんなに働いていたのは・・・・まあ毎年このシーズンは忙しいのでした。が、今年は一生懸命、みんなを盛りたてて、気持ちよくお仕事をしていたと思います。 8月8日交通事故でとも子が死んで、9月1日にはパラダイスのアダモステ、ムゼーマチャイが亡くなりました。 7月1日を最後にひざが痛いとお休みしていたのですが、熱を出したり、その後半身が痺れたり、痴呆が出たりして、病院へ入院してもらい小康をえましたが、9月1日朝5時娘の家で休んでいたところ、今まで聞こえていたコーランを唱える声がぱたりとやみ、見に行ってみたら亡くなっていたそうです。 私が最後にあったのは病院で、私が作って行ったとろとろにしたチキンと野菜のスープを私の手から1口1口おいしそうに飲んでいました。そのときに「もうもしかしたらじいちゃんはだめかもしれないな。」と思い、スタッフにも「会いに行ったほうがいいかもしれないよ。」とは伝えていました。 もっといろいろお話を聴いておけばよかったのに、最近はいつも忙しくて、めったにゆっくりと2人で座ってお話しすることも無くなっていました。時間が有れば門のところまで行って、椅子に腰掛けてアドバイスをもらったり、世間話をしていたのですが。 ムゼーマチャイは漁師でした。海にテゴと言う魚獲りのわなを仕掛けて、あいごやたい、ひめじを獲っていました。昔々会ったころは彼の方言交じりのスワヒリ語が難しくて、話せなかったけれど、だんだんむこうも私のスワヒリ語になれてきたのか、お話できるようになりました。おじいちゃんの小さいボートで何度もリーフへ連れて行ってもらい、おじいちゃんは蛸や貝を取り、あっ、一度遠くでうんこしてた。私は熱帯魚の水溜りをみたり、浅いところでスノーヶリングをしたり、散策していました。そのときは海と自然はみんなおじいちゃんと私のものという感じでした。8歳からボートを立ちこぎしているおじいちゃんは、ひざがXに曲がっていて、歩く時もXでした。「昔初めて村に掘っ立て小屋の学校ができたとき、次の日にはその掘っ立て小屋が壊されていたんだ。」 おじいちゃんは学校へ行っていませんので、読み書きができませんでした。お金に困っている時などには、誰かに代筆してもらった手紙が私に届きました。 膝を壊し、睾丸肥大の手術をして、糖尿病になりかけて、毎月血糖値をはかっていました。 ダルエスサラームへは2度一緒に仕事を兼ねて旅行しました。サバサバへも行きました。そのときはボートが大変に揺れて、周りの人は吐くは泣くはでしたが、私とおじいちゃんははつらつ元気で笑って話していて「サオリは海の人だ」と褒め言葉?を漁師である彼からじきじきいただきました。 漁に出れなくなってからはパラダイスの門番さんとして、朝好きな時間に来て帰りも早めと言う、いいかげんな勤務時間でそばに居てもらいました。来てもけっこう木陰で寝ていたなあ。 「もっと優しく、もっといろいろしてあげたかったなあ。」と思うのはやめました。残った人たちを大切にします。 北海道のママは「さおりちゃんはそんなに遠くへ行って、おじいさんたちのことに真剣になって、何をしてるのかねえ。」と電話口でちょっと笑いました。 20年前も60歳といっていたおじいちゃんは1度だけ「今日は45歳」「どうして?」「そんな気分がするから」亡くなる時も60歳でした。
by saorimiura
| 2012-09-10 21:10
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